幸せで豊かになる考え方

危険な正義感と使命感の落とし穴

 

こんにちは、大石です。

 

無執着と無関心を取り違えてはならないです。

 

多くの人が無執着と思いながら、

無関心になります。

 

これは、愛がないわけではないということです。

 

執着とは、支配欲があります。

 

分かりやすくいうと

愛と恋は、違うわけです。

 

たとえば、セミナーだったり、いろんな本で教えてる、

夢を叶えていく、願望実現するというのは、

どっちかというと、恋に近いです。

 

恋は、盲目的になるし、

何をしたくなるかというと、

相手を支配したくなります。

 

これは、支配欲なんです。

 

その通りにしなかったら、イライラするし、

落ち込むし、相手をその通りに動かしたくなります。

 

これはキリがないんですよね。

 

愛は、別に支配欲ではなくて、

ただ今自分ができることを与えるということです。

 

なので、恋と愛は、

全然、違うわけです。

 

執着とは、恋みたいなもので、

無執着とは、愛みたいなものです。

 

だから、何かというと、

執着や恋や支配欲は、短期的です。

 

でも、無執着や愛は、長続きするので、長期的です。

 

では、執着みたいな支配欲がなくなるか、

欲望がなくなるかというと、

そんなことはなく、出てきます。

 

出てきますが、自分をそっちの欲望に乗っ取られたり、

心奪われたり、引っ張られないことです。

 

こういった話をすると、

こんな疑問が浮かぶ方もいるかもしれないです。

 

「よく人に対して与える人はいますが、

支配欲が強い人もいます。

そういう人も最終的には、どうなんでしょうか?」

 

そういう人は、やっぱり、心のどこかで、

何かしら見返りを期待してる方は、かなり多いです。

 

たとえば、ボランティアとかもそうです。

 

最初は善なる思いでやっていたり、

本当に何かいいよなと思ってやってた所が、

だんだん評価が変わっていったり、

その現場で見ることによって、変わることがあります。

 

たとえば、よくありがちなのは、

正義というのは、かなり難しいです。

 

最初は、ボランティアを愛の状態で、

無執着でやっていたとします。

 

でも悲惨な現場を見たときに、

「何であなた達、もっと知らないの?

これをもっと知るべきでしょう」

というのは、知ってほしいという支配欲です。

 

変わらなければいけないという欲です。

執着ですよね。

 

だから、どっかのタイミングからズレます。

 

これはボランティアでは、

私も見てきましたが多いです。

 

それは正義という、

「絶対、世の中こうなるべきだ」といって、

支配するわけですよね。

 

だって、そんな完全にそうなるか、

どうかはわからないですよね。

 

そもそも、この世のすべては、

ボランティアみたいなものですよね。

 

なので、使命感やミッションをスゴイ掲げている人も、

ひとつ間違えれば、完全にズレた方向にいきます。

 

なぜかというと、

使命感が強い所に正義感がくっついてきたら、

・私は正しい、他は間違っている

・あなたは正しい、あの人はダメ

となって、人をさばくようになるからです。

 

実際にこういった方も本当に多いです。

これは、使命感の落とし穴の一個なんです。

 

だから、常に問い続けなきゃいけないのです。

 

これは、

・使命感なのか

・正義なのか

・偽善なのか

・今の自分合っているのか

・自己顕示欲になってないか

ということを問わなければいけないです。

 

道を極めるのに必要なのが、問いです。

 

使命感に燃えてたとしても、欲望は出てくるので、

その欲望というものが出たときに、

・自分だけが得するような私的な動機なのかな

・本当に世の為なのかな

・役に立つことなのかな

・それを押し通すことで誰かを攻撃してないかな

・誰かを犠牲にしないかな

・誰かを傷つけたりとかしてるんじゃないかな

というような、そこの問いですね。

 

問いかけることです。

 

さっき言った、使命感の中に期待があるというのは、

私はこんな良いことをしているんだから、

あなたもやって当然でしょ!というようなことです。

 

だから、私のやっていることを支援、支持していくのは、

当たり前じゃない!というのは期待ですよね。

 

この期待が存在した瞬間に、

それは執着であり、恋であり、支配欲であり、

暴力的になるわけです。

 

だから、ボランティアも自分がやってみて、

結果がどう出ようとも、自分がやることは迷わないし、

失望もしないし、否定もしないし、

ただ自分はやることやるよ!というのが自然です。

 

しかも、それはやることによって喜んでもらい、

それによって、自分もさらに喜んでもらう人を見て、

楽しい、嬉しいみたいな感じです。

 

誰かを幸せにすれば、その人の嬉しそうな顔を見て、

自分自身も嬉しいです。

 

もしあなたが本当にただ与えるためのみ、

与えることを喜びを味わったのであれば、

その喜びを何度でも得ようして、機会を貪欲に持つはずです。

 

使命感に燃えてる人は、

燃えてること自体が喜びなんですよね。

 

ちなみに、私が執着がある人と出会っても、

もちろん、期待しないですし、

その人を変えてやろうとも思わないです。

 

でもただ無執着で愛の状態でいたら、

あその人に対して、影響するかもしれないですし、

感化するかもしれないです。

 

たとえば、ホワイトボードがあったとして、

何で字が見えるかというと、他がキレイだからです。

 

もしホワイトボードが、

全部真っ黒だったら、字が見えないですよね。

 

他がキレイだから、字が見えるわけです。

 

同じようにこっちが純粋な思いで、

期待のない状態で、自分はただ楽しいからやる、

無執着の状態でクリーンでピュアな状態だったら、

その欲望、執着、恋の支配欲がある人は、

自分の心の汚れに気づくかもしれないです。

 

あくまで、かもしれないです。

 

よくこういった話ありませんか?

 

純粋な人を見て、感動して泣いたりすると、

自分の汚れに気づいたみたいな話は、よくありますよね。

 

ピュアな人に会えば会うほど、

「何でそんなにそのために一生懸命できるの?

私は、できない。」

といって、自分に気付くわけです。

 

同じように、もしかしたら、周りに

無執着で愛がある状態で、行動している人がいれば、

その人がいるだけで、周りは気づくかもしれないです。

 

それは、その人によります。

 

先日、このような話をある経営者コミュニティで、

話した所、以下の質問あったので共有しておきます。

 

「無執着だと思ってやっていたのに、

無執着じゃないかも、というのを問い続けても、

分からないので、どうしたら気付けるでしょうか?」

 

この辺りを気付く感覚や感性は、

すごい大事になってきます。

 

これは、一人で分からなかったら、

自分よりもより愛や無執着や与えるということを

やってる人と一緒にいることです。

 

そういった方々と時間を共にするだけで、

心がジーンと温かくなります。

 

今日、お伝えしたことは、

何度も読むことをおすすめします。

 

自分が良かれと思ってやってあげたことでも、

相手がいいと思ってるとは限らないのです。

 

この辺りをご自身で気付いて、行動に移せたら、

見える世界が変わるはずです。

 

今日はこの辺りで。

 

 

■■LINE@の登録募集中です。■■

良ければ、お友達申請お願い致します。

LINE限定ブログを拝見したい方は、ぜひ!

意見や感想もお待ちしています。

スマホからはこちらをクリック

 

 

関連記事

  1. 嫌なことが楽しくなってしまう方法
  2. あなたには見えていない応援団がいる
  3. 天命は道を歩むだけではない
  4. 願望実現するために波動をコントロールする方法
  5. 自分をリセットする極意
  6. 過去を受け入れて自分を好きになる
  7. 超簡単にセルフイメージを極限まで高める方法
  8. エネルギーを奪う人と与える人

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

最近の記事

幸せで豊かになる考え方

お金

人間関係・パートナーシップ

PAGE TOP